宇土城
本丸には小西行長の銅像が高々とあり、高すぎて一緒に写真撮るのに苦労した♪ゲートボールを楽しんでいるお年寄りたちもいました。本丸から宇土高校の方へ下りて行くと、藪だらけだけど石垣と堀が残っていました。結構ぐるりと囲むように石垣が残っていて嬉しくなりました。あと、「石垣→」の案内があった所には築城時の石垣が残っており、そこには石垣に関する説明も。ちなみにこっちの宇土城は、説明板などでは「宇土城(城山)」と表されていました。
【感想・メモ】
天正16年(1588)、肥後南半国24万石を領した小西行長が宇土古城に入り、翌天正17年、宇土古城の東に新城・宇土城を築いた。慶長5年(1600)、行長は関ヶ原合戦で西軍に属し処刑され、宇土城は熊本城主加藤清正が攻略した。関ヶ原合戦の戦功により、肥後一国を領した加藤清正は、宇土城を修築したが、慶長17年、幕命により廃城となった。正保3年(1646)、細川行孝が3万石を分知され宇土藩を設けた。行孝は、破却された宇土城に陣屋を構えた。以後、宇土細川家が11代続き明治を迎えた。

【道案内】
城跡の地図
別名 鶴ノ城
所在地 熊本県宇土市古城町
遺構等 曲輪、石垣、横堀、碑、説明板
現状 宇土城山公園
築城年 天正17(1589)
築城者 小西行長
歴代城主 小西、加藤
形式 平山城
訪城日 2006/11/22
宇土高校や西側の城山公園一帯が城で、城山公園に無料駐車場が2箇所あります。
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うとじょう
【歴史】