門川城
【感想・メモ】
説明板の脇から城跡へ向かうと、二の丸と三の丸の間の立派な空堀が見えます。三の丸は畑になっており、二の丸や本丸は竹林に木立、藪と歩きにくいです。本丸北東側の竪堀は分かったものの、竹が密集していました。
【歴史】
城跡の地図

中世に日向一円を支配した伊東氏の城の1つで、日知屋城塩見城と共に「日向三城」と呼ばれた。天正年間には米良四郎右衛門が城主だった。米良四郎右衛門は天正6年(1578)、大友氏と島津氏が争った高城の戦いで戦死したが、その後、門川には島津氏の支配が及んだと思われる。天正15年、豊臣秀吉の九州統一によって門川一帯は延岡領となり、元和元年(1615)一国一城令によって廃城となった。
【道案内】
門川町役場の200m程南方となる国道10号「門川町中須」信号を西へ入ります。800m程西進して右手に「法泉寺」を過ぎ、更に800m程西進すると道路右手に門川城跡の標柱が立っています。ここを右折して100m程北上すると、道路左手にお城の説明板があります。この左手奥が城跡です。ここからもう少し北上して民家を通り過ぎると道が広くなっているので、そこに駐車可能です。
別名 狗山城
所在地 宮崎県門川町門川尾末字城屋敷
遺構等 曲輪、空堀、竪堀、説明板
現状 山林
築城年 文明年間(1469-87)
築城者 伊東祐堯
歴代城主 伊東、米良
形式 平山城(比20m)
訪城日 2007/11/30
かどかわじょう
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