比自山城 |
別名 | 比自山砦 |
所在地 | 伊賀市(上野市)長田字比自山 |
遺構等 | 土塁、堀切、曲輪 |
現状 | 山林 |
築城年 | 天正9(1581) |
築城者 | 福喜多将監・百田藤兵衛 |
歴代城主 | 福喜多、百田 |
形式 | 山城(比144m) |
訪城日 | 2004/10/16 |
ひじやまじょう |
国道163号「寺垣内」信号を南へ入り、右手に長田小学校を過ぎて500m程南下した右手「西連寺」の墓地上部から登ると良いようです。が、私は裏手から登りました。先程の国道163号を「寺垣内」信号から更に1.3km程西進します。道が上りの後、下った付近で「上野ニュータウン」へ向かう斜め左へと路地へ入り進むと、左手に砂を採っている(山を削っている?)場所があります。この削られた山が城跡で、地元の方に「道は無いけど適当に入って登れば行ける」と言われたので適当に山に入りました。 |
草木を掻き分けながら登っていくと、突然尾根に出て、これって空堀?曲輪??と思える所が見えたので縄張図と照らし合わせるもま〜ったくどこに居るのか分かりません。もうちょっと登って、自分たちが居る場所を掴むことに。ズンズン登っていったら、3方向に空堀があったので探索すると、東に伸びてる空堀の南側には2重の空堀があり、北側の切岸を登ると、小さな削平地に低い土塁が巡り、見張り台のような頂点がある。ってことで、これだけ情報が有れば、縄張図のどこに居るのかはっきり分かり、まだ南の方に居ました。それならば。。。と今度は一旦西に回ると、そこから北へ向かっていくつか曲輪があり、1つはかなり広いのでそれを見ようと行ったら、一番広い削平地はすごい藪で入りこめず、ここで行く手をさえぎられたためそれより北へ行けなくなっちゃいました。諦めて、見張り台のような頂点の所を見てから下山しました。まだまだ見てない部分が多いけど、ここまで藪がスゴイと攻めるのが難しい。でも、ここは遺構がほぼ完存しているようなので、見応えはあると思います。 |
天正9年(1581)、地元の有力土豪である、福喜多将監・百田藤兵衛が築城した。同年、蒲生氏郷軍と筒井順慶軍が攻撃してきた、いわゆる天正伊賀の乱の際、北伊賀の土豪ら2760人と更に妻子が最後の拠点として立て籠もったが、落城した。 |