城跡の地図
延木左馬允城
別名 黒田城
所在地 名張市黒田字尻江
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切
現状 山林
築城年 南北朝初期
築城者 延木左京大夫貞次
歴代城主 延木
形式 山城(比75m)
法然寺から主郭まで約8分
訪城日 2004/10/16
【道案内】


【感想・メモ】
のぶきさまのかみじょう
【歴史】
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法然寺
国道165号の「黒田」信号を県道80号へと北へ入ります。400m程行った左側5本目の路地(少し広いです)を左に入ります。200m程西進した水路を越えた最初の路地を右折し、次の路地を左折すると民家と民家の間を通る細い道があります。ここを通ると正面にも民家が2軒あるのですが、この右側の民家の奥に法然寺があります。お城へは民家のすぐ脇にある法然寺の所から登ることになるのですが、個人宅の敷地を通ることになるため無断で立ち入らないように、ちゃんと了解を得てから登りましょう。
6分程登ると、愛宕神社があった時のもの?と思われる石積みが見られます。更に2分程登ると、削平地が見えてきますが、木立が写真を撮るのにちょっと邪魔かなぁ。曲輪は4段になっていて、所々に石積みが見られます。その奥には堀切があり、結構深さがあって見応えがあります。更にその奥に2本の堀切があり、堀切を下りたり上ったりできてすごく楽しいです。縄張図を見ると、連郭式山城で、単純な縄張でこじんまりしてるのかなぁって思ったのですが、遺構がしっかり残っていて、見応えがあってオススメです。
貞観年間(859-77)、延木左京大夫貞次が黒田村に移り住んで城を築いたといわれる。その後、室町時代には全盛を誇っていたが、天正9年(1581)、伊賀の乱で筒井順慶の軍勢に攻められ落城し、延木佐馬允は戦死した。