八太城 |
別名 | |
所在地 | 津市一志町八太字板取谷 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切 |
現状 | 山林 |
築城年 | 永禄年間(1558-70) |
築城者 | 田上讃岐守 |
歴代城主 | 田上、日置、生駒 |
形式 | 平山城(比53m) 登城口から主郭まで約8分 |
訪城日 | 2005/2/11 |
はたじょう |
山神(登城口) |
JR名松線「一志駅」から東南に約500m。県道67号でJR名松線を北へ渡り、300m程北上した信号を左折して、八太集落の中に入って行きます。集落の西北端、波瀬川を渡る150m程手前からJRの線路を渡ります。この目の前の山が城跡です。 |
登り始めに山神が祀ってある所からだと登りやすかったです。主郭には祠が祀ってあり、その背後には土塁がめぐっています。主郭東側にも薄い土塁がありました。主郭西側と北側には堀切がありますが、それ程明瞭ではなかったです。 |
永禄年間(1558-70)、田上讃岐守とその子・右近が居城した。田上氏は北畠氏に属していたが、天正4年(1576)北畠氏が滅びると秀吉に仕えた。右近の子・兵衛尉が文禄元年(1592)朝鮮の役で戦死し、田上氏は断絶した。その後、城は北畠信雄が日置大膳亮に与えたが、天正12年、秀吉が蒲生氏郷の与力・生駒弥五左衛門をここへ移した。 |