城跡の地図
八田城
別名 霧山城
所在地 嬉野町八田字城山
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切、井戸、見張り台、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉時代
築城者 三浦五郎左衛門尉盛時
歴代城主 三浦
形式 平山城(比30m)
訪城日 2005/2/11
【道案内】

【感想・メモ】
はったじょう
【歴史】
TOPページへ
伊勢自動車道「一志嬉野インター」を下りて突き当たった信号を左折し、県道67号を南下します。中村川を「島田橋」で渡ってから350m程南下した2つ目の路地を右折します。そこから左手の小山が城跡で、100m程西進した右手に城跡の説明板や大手道などの案内があります。
ここへ来る途中の山裾にも案内があり、そこから入ると井戸へ行けます。このお城は木々を伐採し整備している最中でした。主郭には土塁が巡り、特に東側は見張り台となっていて一段高くて立派です。虎口も北側と東側の2ヵ所にしっかり残っており、主郭の東には井戸が2つもあります。空堀も立派でかなり見応えがあるのですが、伐採した木を堀に放ってあるため、せっかくの深い堀が見にくかったのが残念です。
鎌倉時代、相模から三浦五郎左衛門尉盛時が来て築城した。11代・大多和盛成が北畠顕能に従って後、北畠氏に属した。永禄12年(1569)、信長の伊勢侵略の際、大多和監物は篭城した。信長は秀吉に攻略するよう命じたが、濃霧のため攻め口を見出せず引き揚げた。北畠具教が信長と和睦したため、監物は三浦姓と改め土着した。
主郭(見張台)
縄張図(現地説明板より)