一身田寺内町 |
別名 | |
所在地 | 津市一身田寺内町 |
遺構等 | 環濠集落 |
現状 | |
築城年 | |
築城者 | |
歴代城主 | |
形式 | 環濠集落 |
訪城日 | 2002/12/6 |
いしんでんじないちょう |
JR紀勢本線「一身田駅」から東へ約500m。国道23号「栗真中山町」信号を西へと県道10号に入ります。近鉄名古屋線を高架で渡り、伊勢鉄道をくぐり、志登茂側を「平野橋」で渡って400m程行った信号を左折して県道55号に入ります。500m程進むんで右折し、県道をキープします。そこから500m程行った右手に「専修寺」があり、この寺を中心とした一帯が寺内町です。 |
寺内町は戦国時代に計画的に作られた町で、専修寺を中心に環濠や堤で防御されてました。今でも環濠が残っており、寺内町の雰囲気が味わえます。趣のある家や門、特に環濠に面した蔵などに、魅入ってました。太鼓門は、ちょっとした櫓のようで格好いいし、唐門もステキ!黒門は現在、高田幼稚園の門になっています。山門もかなり立派ですが、その中の中心となる御影堂は、修復工事中でした。「一身田寺内町の館」は、1階にちょっとした展示室があり復元模型もあります。 「一身田寺内町の館」 http://www.info.city.tsu.mie.jp/edu/bunka/cu-yakata/ |
嘉吉3年(1443)、真宗高田派第10世真慧を下野国高田から迎え、1470年頃、無量壽院(のち無量壽寺)を建てたことから始まる。戦国時代に入り下野高田の専修寺が炎上荒廃したため、ここが高田派教団の中心となり、寺名も「専修寺」と称した。16世紀末には専修寺を中心に末寺や民家を囲い込み、周囲に外濠を巡らせ、寺内町の形態を作った。正保2年(1645)一身田は二度の大火に見舞われ、寺院、民家とも全焼した。その修復と拡大のため津藩2代藩主高次は専修寺の西隣接地に約3万坪を寄進し、寺地及び寺内を5万4千坪に拡大した。 |