柿城 |
別名 | |
所在地 | 朝日町柿字西ノ広2557-2 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀 |
現状 | 山林 |
築城年 | 室町時代 |
築城者 | 沢木宗政 |
歴代城主 | 沢木 |
形式 | 平山城(比20m) |
訪城日 | 2004/12/25 |
かきじょう |
JR関西本線「朝日駅」から北へ約250m。国道23号「南福崎」信号を県道501号へと西へ入ります。近鉄そしてJRの線路を越えると県道66号(JRの線路を渡ってすぐの道路)にぶつかるのでここを左折します。300m程行くと朝日町体育館があるのでここを右折します。左手に体育館を越え、右手に朝日町教育文化施設が見える所の左手に池があります。この池の向こう(西南)が城跡です。 |
池の南側をフェンス沿いに西へと歩いていくと正面に竹薮があります。この中へ入って行くと単郭に土塁が巡っています。かつては3つの曲輪から成っていたようですが、現在はこの本丸のみが残っています。山の北側を削っていたけど、この本丸は大丈夫なのかちょっぴり心配になりました。 |
神戸城主・織田信孝の与力である沢木宗政が築城したといわれる。弘治3年(1557)、近江の佐々木六角義賢の家臣・小倉三河守が伊勢に侵攻して千種勢とともに柿城も包囲され落城した。この時、神戸勢は救援に向かうが、その間に家臣・岸岡城主・佐藤中務丞が近江勢と通じ神戸城を奪ったが、程なく奪回された。 |
虎口 |