金井城 |
別名 | 北金井城 |
所在地 | 三重県いなべ市員弁町北金井字亀谷1209-1226 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板 |
現状 | |
築城年 | 天文年間(1532-55) |
築城者 | 種村大蔵大夫高盛 |
歴代城主 | 種村 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2004/2/11 |
かないじょう |
虎口 |
土橋 |
三岐鉄道北勢線「大泉駅」から西へ約1km。国道421号「岡丁田」信号を南西へと県道611号に入ります。1km程進んで線路を横切り、600m程行って右折します。150m程西進して右折し県道9号に入り300m程北上した1本目の路地を左折します。100m程で道は突き当たり正面に「円願寺」がありますが、ここを右折し、すぐを左折します。200m程行った路地を左折すると左手前方に説明板や城址碑が見えます。ここが城跡です。 |
説明板のある方から入ると両側に大きな空堀があり、それを渡って平虎口を抜けると主郭に入ります。主郭には高い土塁が巡り、城内は120×60m程もありかなり大きいです。 |
天文年間(1532-55)、近江・佐々木氏の一統である六角高成の孫・種村大蔵大夫高盛が築城した。大永2年、美濃の土岐大膳大夫が攻めてきたが、北勢諸家が協力し撃退した。永禄11年(1568)、織田信長が侵攻し、抗戦したがすぐに降伏した。高盛は元亀3年(1572)死去し、四男・秀政が継いだが、その後、秀政の長男・秀信が継いだ。天正4年(1576)、秀信は滝川一益に不信を持たれ、伊勢長島城へ出頭を命じられた。出向いた秀信は切腹させられたため、一族は城を放棄した。 |