菰野陣屋 |
別名 | 菰野城 |
所在地 | 三重県菰野町菰野1490 |
遺構等 | 土塁、移築門、堀跡、石垣、碑 |
現状 | 菰野小学校 |
築城年 | 慶長6(1601) |
築城者 | 土方雄氏 |
歴代城主 | 土方 |
形式 | 陣屋 |
訪城日 | 2003/12/13 |
こものじんや |
堀跡 |
近鉄湯の山線「中菰野駅」から東へ約500m。県道559号沿いの役場から500m程西進した右手に菰野小学校があります。この小学校が城跡です。 |
小学校の南側(近鉄の線路側)に、城址碑と説明板があります。小学校の西北にも説明板があり、土塁と堀の一部が残っています。ちなみに、ここの移築城門が、菰野町小島の金蔵寺にあります。 |
永禄11年(1568)、伊勢攻略に成功した信長は、攻略の際の大将であった滝川一益に北勢5郡を与えた。一益は、臣・南川治郎左衛門を代官として菰野に置いた。天正11年(1583)、織田信雄・信孝兄弟が対立した際、秀吉は一益の諸城を落とし、信雄に与えたので、信雄は家臣・土方雄久に菰野を与えた。天正18年、秀吉は信雄を清洲城に、雄久を犬山城に移し、甥の秀次に北勢5郡を与えた。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで功があった雄久に加賀で1万石を与えたが、家督を継いだ子・雄氏は菰野1万2千石を与えられた。翌慶長6年、滝川氏代官所の跡に陣屋を置いた。以後、土方氏が代々治め、明治を迎えた。 |