城跡の地図
松阪城
別名 四五百城
所在地 松阪市殿町
遺構等 曲輪、石垣、碑、説明板
現状
築城年 天正16(1588)
築城者 蒲生氏郷
歴代城主 蒲生、服部、古田
形式 平山城
訪城日 2005/6/25
【道案内】


【感想・メモ】
まつさかじょう
【歴史】
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天守台
JR・近鉄「松阪駅」から西へ約800m。県道59号「川井町4」信号を南へと県道756号に入ります。500m程南下して阪内川を「新松阪大橋」で渡り、渡り終わってすぐの信号を左折します。150m程行くと道が右カーブになり、その後右手に駐車場があります。「松阪市民病院」の斜め向かい側となります。この駐車場から南が城跡ですので、車の場合はこの駐車場を利用するとよいでしょう。
石垣が沢山あって、とっても素晴らしいです!すぐ南の御城番屋敷は石畳で雰囲気が良く、古い長屋の屋敷が残り、見学できる家もあります。他にも、「本居宣長記念館」やその前に「鈴屋」もあったり、そこから東の駅の方へ向かうと、三井発祥地があったり、お寺が沢山あったりして、町並み散策にもいい所です。
天正10年(1582)、近江国日野城主・蒲生氏郷が松ヶ島城へ入ったが、松ヶ島城は海岸に近くて不便な上、狭かったため、天正16年、新しく松阪に築城した。天正18年、氏郷は奥州の押さえとして会津若松へ移ったため、翌19年、服部釆女正一忠が入り、城代として家臣石黒毛右衛門を置いた。文禄4年(1595)、一忠は秀次に殉じて切腹したため、近江日野城主古田兵部少輔重勝が入部した。しかし、慶長11年(1606)、重勝が病死し、弟の重治が継いだが、大坂の役の功で元和5年(1619)、石見国浜田へ移封となった。その後、和歌山城主・徳川頼宣の所領となった。明暦3年(1657)、大久保四郎右衛門が初代松阪城代に任じられ、それ以後、城代を置いて明治まで統治した。