茂福城 |
別名 | |
所在地 | 四日市市茂福町字里ノ内 |
遺構等 | 土壇、碑 |
現状 | |
築城年 | 室町時代 |
築城者 | 朝倉下野守盈盛 |
歴代城主 | 朝倉 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2003/5/24 |
もちふくじょう |
JR関西本線「富田浜駅」から西北へ約750m、近鉄名古屋線「近鉄富田駅」から南南西へ約1km、近鉄名古屋線「霞ヶ浦駅」から北北東へ約1km。東名阪自動車道「四日市東インター」で下り、県道64号で伊勢湾の方へ東進した場合、近鉄の線路を高架で越えてすぐの信号を左折します。左折後、2本目の路地を左折すると、近鉄の踏切手前の左手に大きな城址碑があります。この付近が城跡です。 |
この道沿いから左手奥に、ちょっとした土盛があり、そこは主郭の北西隅だった所です。ここにも大好きな?石碑と説明板がありました。 |
室町時代、朝倉下野守盈盛が築城し、掃部助盈豊まで数代が居城した。元亀2年(1571)、盈豊は信長の武将・滝川一益に不信を持たれ、長島城へ出頭して殺された。そのため落城した。後に、一益は山口氏を目代としてここに置いた。 |
背後の土盛が城跡 |