野呂氏館 |
別名 | |
所在地 | 津市芸濃町椋本字殿町 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀 |
現状 | 椋本神社周辺 |
築城年 | |
築城者 | 野呂民部少輔 |
歴代城主 | 野呂民部少輔 |
形式 | 居館 |
訪城日 | 2004/2/28 |
のろしやかた |
椋岡神社 |
伊勢自動車道「芸濃インター」を降り、県道10号を1.2km程西進すると、道が二手に分かれているので、そこを左手の県道28号へ行きます。この県道は途中で左に曲がるのですが、そこは左折して28号をキープ、左折後300m程で28号は左手に曲がる所を今度は右折して県道669号へ入ります。この県道699号が鈎形に曲がり終えてすぐの路地を左に入り真っ直ぐ行くと、正面に「椋本神社」があります。この神社及び周辺が城跡です。 |
神社に入って右手の方に土塁があるものの藪だらけ。また神社の奥にも土塁が残っていました。縄張図を見ると、ここから西北の方にも曲輪と土塁があるようなのですが、強風で鼻水&目が痒くなり(花粉症です)疲れてきたのと根気がなくなったため、そっちの方へは行かずに退散しました。 |
雲林院出羽守の臣・野呂民部少輔が築城した。天正8年(1580)、織田信包が雲林院氏を滅ぼそうとした謀略により、老臣であった野呂民部は雲林院氏によって滅ぼされた。そのため廃城となった。 |
土塁 |