曽井城 |
別名 | |
所在地 | 四日市市曽井町字東垣内 |
遺構等 | |
現状 | 宅地 |
築城年 | 文治年間(1185-90) |
築城者 | 志村右衛門尉 |
歴代城主 | 志村 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2007/8/25 |
そいじょう |
近鉄湯の山線「伊勢川島駅」から北東へ約1km。「神前小学校」南側の通りを、小学校から800m程東進した左手(北)付近が城跡です。 |
城跡は現在、宅地などになっており、遺構は何もありません。城跡付近から150m程西(観音寺の南)に、和泉式部化粧の水というものがあります。和泉式部がこの水を浴びたところ、鼻の横にあった黒いアザがなくなり、絶世の美女になったと言い伝えられているものです。 |
文治年間(1185-90)、伊勢平氏の一党として、志村右衛門尉(曽井入道)がここを拠点とし、三日平氏の乱に加わって平賀朝雅の討伐を受けた。 |