城跡の地図
千種城
別名
所在地 三重県菰野町千種字城山
遺構等 曲輪、土塁、横堀、堀切、碑、説明板
現状 公園、山林
築城年 永徳元(弘和元1381)
築城者 千種顕親
歴代城主 千種
形式 平山城
訪城日 2002/12/7
【道案内】


【感想・メモ】
ちぐさじょう
【歴史】
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県道762号と県道626号の交差点から西へと県道762号を進み、2本目の路地を左へ入ります。そこからすぐに右手の川を渡る橋を渡ります。すると、千種城の看板が見えます。その看板の場所が城跡で、看板に近づくと右手に登る道があります。これを登りきった公園に駐車可能です。
石碑や説明板が階段の所にありますが、階段を上りきり、上の公園へ行くと、更にでっかい石碑が。ここまでくると、石碑好きの私でもやり過ぎ!と思っちゃうくらいのものです。公園へ行くまでの道に土塁と空堀があります。ここは、もとから虎口だったのかなぁ?だとすると、空堀は土橋の両側にあることになります。公園の立派な城址碑に向かって右手前方から奥へ入って行くと、かなり深くて幅がある堀切があります。先程の東の郭が主郭で、この堀切の向こう側が西の郭になります。西の郭は土塁が少し残っている程度で、あとは木と草に覆われていました。行く途中、少し石積みもあったけど、往時のものかなぁ??公園の南側にも土塁があります。
永徳元(弘和元1381)、千種顕親が築城した。弘治元年(1555)、近江佐々木氏の一族・六角義賢が、小倉参河守を総大将として北勢へ侵攻した際、和議を結び六角氏の執権・後藤但馬守の弟を千種氏の養子として千種三郎左衛門と称し、千種氏は佐々木六角氏の一味となった。そして、以後近江軍の伊勢侵入拠点となった。その後、信長、秀吉に属したが、元和元年(1615)大阪の陣で千種又三郎が戦死し、千種氏は滅びた。
土塁(虎口)