釆女城
文治年間(1185-90)、伊勢平氏の後藤兵衛基清が築城した。以後15代続くが、後藤采女正藤勝の時、織田信長に攻められ、永禄11年(1568)落城した。
【歴史】
【感想・メモ】
このお城は、1つ1つの造りがそこそこ大きくしっかりしていて、この付近では最大の見所ではないかと思っているお城です。城跡は整備され、本丸には井戸と説明板があり、立派な土塁や空堀があちこちで堪能できます。本丸の東南にある曲輪からは眺望が良いです。
井戸
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縄張図(現地説明板より)
【道案内】
登城口の地図
国道1号「内部橋北詰」信号を西へ入り、内部川沿いに1.5km程北西へ進んだ右手に城址碑や説明板があります。ここが登城口で、登城口から更に50m程進んだ左手にちょっとした空き地があります。ここが駐車場です。

主郭
別名
所在地 四日市市釆女町字北山
遺構等 土橋、土塁、曲輪、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 文治年間(1185-90)
築城者 後藤基清
歴代城主 後藤
形式 平山城
訪城日 2005/2/5
うねめじょう