| 山田城 |
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| 別名 | 小山田城 |
| 所在地 | 四日市市山田町字吉ケ原 |
| 遺構等 | 曲輪、土壇、空堀 |
| 現状 | 八幡社 |
| 築城年 | 応仁年間(1467-69) |
| 築城者 | 矢田監物 |
| 歴代城主 | 矢田 |
| 形式 | 山城 |
| 訪城日 | 2003/11/2 |
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| やまだじょう |
| 土塁 |
| 県道634号で鎌谷川を「向山橋」で北へ渡ります。300m程進んで県道634号が右に曲がる所を左折します。道なりに500m程西進すると道が二手に分かれるので、右手の道へ行きます。そこから150m程進むと左手に交番があります。交番の北側には消防分署が隣接し、小山田小学校の400m程手前となります。この交番のやや北側に東にのびる細い道があります。この道を行くと正面が小高くなっています。ここが城跡です。 |
| 城跡にはちょっとした祠があり、それが八幡社のようです。内部川の支流・鎌谷川と足見川に挟まれた標高80メートルの丘陵上にあり、土塁、空堀を残します。 |
| 応仁年間(1467-69)中、矢田監物が丹波国から移り住み、築城した。その子孫が天正18年(1590)小田原陣に討死して廃城となった。矢田氏の墓という五輪塔2基が近所の寺院に保存という。 |
| 土塁 |