四日市陣屋 |
別名 | 四日市代官所 |
所在地 | 四日市市北町 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 中部西小学校 |
築城年 | 慶長8(1603) |
築城者 | 水谷九左衛門光勝 |
歴代城主 | 水谷、多羅尾、松平、多羅尾 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2003/5/24 |
よっかいちじんや |
近鉄名古屋線「四日市駅」から東北へ約800m、JR関西本線「四日市駅」から西北へ約800m。国道1号で三滝川を「四日市橋」で南へ渡って2本目の「北町」信号を左折し、2つ目の路地を左折した正面に「中部西小学校」があります。この小学校が陣屋跡です。 |
小学校正門左手に、説明板がありました。遺構は、全くないようです。 |
四日市陣屋は幕府直轄領を支配する代官所であった。慶長8(1603)、水谷九左衛門光勝が代官に任ぜられた。代官はたびたび交替したが、享保7年(1722)、近江国信楽代官・多羅尾四郎右衛門光忠が四日市代官を兼務した。享保9年、幕府直轄領から大和郡山の所領となり、郡山から代官が赴任したが、享和元年(1801)、再び幕府直轄領となり、再び多羅尾氏が四日市代官を兼任する事となり、以後、多羅尾氏が世襲した。 |