光明城
城跡の地図
登城口の地図
【道案内】
天竜区役所東方の「山東」信号から国道362号で400m程北東へ進み、「光明山遺跡」の案内に従い左折します。400m程北上して「光明小学校」に突き当たったら右折し、300m程東進した3本目の路地を左折します。そのまま道なりに上がっていくと、左手に木材工場を過ぎた辺りから「光明山林道」となります。この林道で7km進むと「光明山遺跡」があり(案内有)、そこが城跡で無料駐車場が完備されています。林道は舗装され、たまにすれ違えない幅になるものの、大体は乗用車同士ならすれ違いもでき安心して通れる道でした。


堀切

光明寺石垣

別名 光明寺城、高明城、高明山城
所在地 静岡県浜松市天竜区山東字光明山
遺構等 曲輪、堀切
現状 光明山遺跡(山林)
築城年 享禄年間(1528-32)
築城者 朝比奈時茂
歴代城主 朝比奈
形式 山城
訪城日 2011/7/16 感想
【感想・メモ】
こうみょうじょう
【歴史】
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光明山の南南西約700mにあり、車で上まで行けるのが有り難いです。駐車場から2分程東へ歩くと「西光寺跡」で、そこから更に3分程で「光明寺跡」(本曲輪)となります。石段や石垣がありますがかなり藪です。本曲輪の東側にも石垣がしっかりあり、その北側が中曲輪なのですがここも酷い藪です。この東に五人塚があり、その東の堀切を見ると、城だったのだと感じられます。3度訪城しているのですがいつも夏場のため藪です。冬は大丈夫なのかな?初訪城の時はここでキャンプをしているボーイスカウトの人達も居ました。
享禄年間(1528-32)、朝比奈時茂が築城し、太郎泰方が継いで在城したとも言われるが、明確ではない。二俣犬居を結ぶ旧秋葉街道沿いにあり、行基が創建した光明寺に築城した。元亀年間(1570-73)、武田氏の属城として城番が置かれ、天正3年(1575)6月、徳川家康が家臣・本多忠勝や榊原康政に光明城を攻略させた。赤豆坂、梯子坂で激戦の後、攻略し、光明城は二俣城主大久保忠世に預けられ、その家臣が天正10年頃まで在番した。