千頭峯城
登城道は整備され表示があちこちにあります。登城口である駐車場から5分程登ると「荷馬街道」に出て、そこを左手に進むと東曲輪に出ます。東曲輪は土塁がしっかり残り、曲輪も結構広いです。東曲輪から本曲輪の東〜北に続く二の曲輪を通り、本曲輪へ。本曲輪には祠が祭ってあり、縄張図付きの説明板もあります。ここからの眺望も良いです。二の曲輪と西曲輪の間の堀切がとても見応えがあり、西曲輪には土塁が巡らされ、虎口がしっかりしています。また、南曲輪は段郭になっていて、最後の曲輪にはこれまた土塁が巡っていて、かっこよいです。井戸曲輪には素掘りの大きな井戸があります。全体的に遺構が良く残り、見やすくて、楽しめます。
【感想・メモ】
縄張図(現地説明板より)
本曲輪
【道案内】
西曲輪南東の堀切
城跡の地図
登城口の地図
別名
所在地 浜松市北区三ヶ日町摩訶耶
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切、虎口、説明板
現状 山林
築城年 南北朝期
築城者 奥山氏
歴代城主 奥山
形式 山城(比100m) 駐車場から比高50m
駐車場から主郭まで約10分
訪城日 2008/3/15

せんとうがみねじょう
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摩訶耶寺から西側の道路で800m程北上して右折し(案内有)、400m程南下してトンネルをくぐります。トンネルを抜けてすぐ右手に未舗装の駐車場があります。ここから案内に従って北へ登ると城跡です。
南北朝時代、井伊氏一族である奥山氏が築城した。引佐郡を本拠とした井伊谷の三岳城主井伊氏とその一族を主力とする南朝方の拠点の一つであった。 暦応2年(1339)、北朝方の高師泰が三岳城を攻めた際、千頭峯城も攻められ落城した。
【歴史】