城跡の地図
水口城
別名 碧水城
所在地 甲賀市水口町水口
遺構等 石垣、堀、碑、説明板
現状 水口高校
築城年 天正13(1585)
築城者 羽柴秀吉
歴代城主 羽柴、長束、池田、徳川直轄地、加藤
形式 平城
訪城日 2004/10/23
【道案内】


【感想・メモ】
みなくちじょう
【歴史】
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近江鉄道本線「水口城南駅」から北へ直線で約150m。国道1号「西名坂」信号を県道549号へと東南に入り、300m程先の「本綾野」信号を南に入って750m程南下した右手(西側)が城跡で、城跡の水堀が見え始めた付近に駐車場の案内が出ています。
水堀を一周すると、石垣も見られとても雄大な気分に浸れます。模擬櫓の中は資料館になっていて、ビデオなどが見られます。水口高校のグランドになっている部分もあり、城内で思いっきり体を動かしている高校生が羨ましくなりました。
水口城は寛永11年(1634)、三代将軍徳川家光が京都に上洛するに際し、小堀遠州が築城した将軍専用の宿舎であった。(同じく将軍上洛時の宿舎用御殿として、近江には永原御殿(永原城)、伊庭御殿柏原御殿の4御殿があった)家光上洛後はしばらく幕府の管理下にあったが、天和2年(1682)石見国から加藤明友が2万石で入り、一時鳥居氏と城主を交代したが、再封して2万5千石で加藤氏が明治まで居城した。加藤氏は、将軍宿舎用の本丸御殿を使用せず、二の丸に御殿を建て居住した。本の丸御殿は、正徳3年(1713)に幕府によって取り壊された。