岩屋城 |
別名 | |
所在地 | 太宰府市太宰府 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 天文年間(1532-55) |
築城者 | 高橋鑑種 |
歴代城主 | 高橋 |
形式 | 山城 |
訪城日 | 2007/2/9 |
いわやじょう |
西鉄太宰府線「太宰府駅」の西側を走る県道76号を300m程北上して左折します。すぐに御笠川を渡り道なりに「県民の森」方面へ山を上がって行きます。3km程進むと道路右手に岩屋城の説明板があります。ここが登城口で、登城口の少し手前道路左手にパーキングがあります。 |
城跡は主郭部のみが残り、あとは道路造成によって破壊されたようです。登城口には説明板があり、そこから階段を登ると正面に堀切があります。堀切から右手へ行くとすぐに主郭となり、「嗚呼壮烈 岩屋城址」の碑が目に飛び込んできます。主郭からの眺めはとても良く、大宰府政庁跡も見えます。また、道路の反対側には高橋紹運の立派なお墓があります。 |
天文年間(1532-55)、宝満城の支城として豊後大友氏の武将・高橋鑑種が築城した。天文12年、鑑種は主家・大友宗麟に叛き城を追われ、代わって吉弘鎮理(後の高橋紹運)が城主となった。紹運は天正14年(1586)九州制覇を目指す島津5万の大軍を迎え撃ち、激戦十余日、秀吉の援軍到着を待たず玉砕し、落城した。 |