熊本城
別名 銀杏城
所在地 熊本市本丸町
遺構等 現存櫓9棟(宇土櫓、源之進櫓)、
不開門など、長塀、碑、説明板
現状 熊本城公園
築城年 慶長12(1607)
築城者 加藤清正
歴代城主 加藤、細川
形式 平山城
訪城日 2006/11/23
くまもとじょう
【道案内】 城跡の地図
JR鹿児島本線「上熊本駅」から南東へ約1km、「熊本駅」から市電2号線「熊本城前駅」から北へ約200m。熊本市役所のすぐ北西側にあり、公園内や周辺に有料駐車場があります。
詳しくはこちらをご覧下さい。 熊本城オフィシャルホームページ
【感想・メモ】
熊本地震にて大きな被害を受けてしまいましたが、復興を楽しみに、時々訪れたいと思います。市役所の14階に展望スペースがあり(無料)、ここから天守がよく見えるのでお勧めです。
【歴史】
戦国時代、熊本城がある茶臼山の東の山に千葉城が築かれ、西南の麓には古城(隈本城)が築かれた。天正16年(1588)肥後半国の領主となった加藤清正が、慶長6年(1601)、関ヶ原合戦の戦功により小西行長の旧領を併せて、肥後一国52万石を領した。清正は、すぐに茶臼山全山に築城を開始し、慶長12年に完成した。寛永9年(1632)、清正の子・加藤忠広は謀反の疑いをかけられ、出羽庄内城主・酒井忠勝にお預けとなり、出羽丸岡に移った。同年、替わって豊前小倉城主細川忠利が肥後一国54万石の太守として入封し、以後細川氏が11代続いて明治を迎えた。明治10年(1877)、西南戦争では、熊本鎮台司令官・谷千城以下3千4百名が守る熊本城を、西郷隆盛率いる薩摩軍1万3千名が50日余り攻めるが、ついに落せず撤退した。しかし、この時天守以下、主要な建物が焼失した。