亀山城 |
山陽本線「上道駅」から北東へ約1.6km。国道250号「沼」信号から500m程東進して左折し、300m程北上した左に「浮田小学校」がある所を右折します。70m程東進した左手が登城口で、周辺の余白に駐車しました。 |
別名 | 沼城 | ||
所在地 | 岡山県岡山市東区沼1812 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、櫓台、説明板 | ||
現状 | 山林、弁天神社 | ||
築城年 | 天文元年(1532)頃 | ||
築城者 | 中山信正 | ||
歴代城主 | 中山氏、宇喜多氏、浮田氏 | ||
形式 | 山城(比35m、標40m) | ||
訪城日 | 2010/4 | 感想 | △ |
本丸
城跡の南側にある神社への階段が登城口で、道路に説明板があります。3分程で石碑がある本丸に至り、この北西が一段高い櫓台になっていて神社が祭ってあります。本丸の一段下は帯曲輪になっていて、西の丸跡の標柱があるのですが、あまりの藪に入れません。と思ったら、小学校が西の丸で、楢部に出丸があるようです。亀山城は遠くから見ると本当に亀の形をしており、胴体が本丸、頭の部分が二の丸のようです。 |
天文初年(1532)頃、中山備中守信正が築城したと考えられる。信正は初め金川城の松田氏に従っていたが、松田氏の勢力が衰えると天神山城の浦上宗景に従い、天文20年(1551)宗景の家臣で頭角を現しだした宇喜多直家の舅となった。永禄2年(1559)、宇喜多直家が信正を謀殺してこの城を奪い新庄山城から移り、壮年時代の活躍の拠点とした。戦国大名に成長した直家は、天正元年(1573)岡山城へ移り、舎弟の浮田春家を亀山城主にした。関ヶ原合戦にて宇喜多氏が滅亡し、宇喜多氏にかわって慶長6年(1601)春、岡山城主となった小早川秀秋は亀山城を廃城とし、亀山城天主は岡山城表書院の段の大納戸櫓に、城門は秀秋の家老稲葉内匠頭本邸の表門に移築したと伝えられる。 (『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照) |
かめやまじょう |