新庄山城
【道案内】
築城年代は不詳だが、亀山城主中山備中守信正の臣・新庄助之助の居城と伝えられる。中山信正の亀山城は天文元年(1532)頃に築城されており、この城も同じ頃に築城されたと考えられる。天文18年(1549)春、乙子城主宇喜多直家は砥石城主浮田大和が主君浦上宗景に背いたとし、宗景と協力して砥石城を攻め大和を敗死させた。この恩賞として直家は宗景から新庄山城が与えられ、乙子城から移った。永禄2年(1559)、亀山城主中山備中守と砥石城主島村豊後守が主君宗景に対し謀反の噂があり、直家は宗景の命に備中守を謀殺した。この功により直家は亀山城を賜り、新庄山城から移って新庄山城は家臣に守らせたが、直家が岡山城主となり備前国を平定した頃、この城は役目を終え廃城となった。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)

【歴史】
城跡の地図
登城口の地図
JR山陽本線「上道駅」から東南東へ約3km、上道中学校から南南東へ約600m。上道中学校の南に上道公園があり、この東端にある「小鳥の森コゴルフパーク」から南へと橋を渡った所が登城口です。公園に駐車場があります。゙

城址碑

別名 奈良部城
所在地 岡山県岡山市東区竹原
遺構等 曲輪、碑、説明板
現状 山林(新庄山)
築城年 天文元年(1532)頃
築城者 新庄助之助
歴代城主 新庄氏、宇喜多氏
形式 山城(比117m、標128m)
登城口から主郭まで約15分
訪城日 2010/4 感想
登城口に石碑や説明板があり、そこから15分程で主郭に辿り着きますが、登城道は歩きにくいです。主郭には社殿が建ち、その前に標柱と説明板があります。藪のせいと、主郭南は改変されている雰囲気で、遺構は分からなかったです。
【感想・メモ】

主郭

しんじょうやまじょう
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