周匝茶臼山城 |
国道374号「周匝橋」で吉井川を西へ渡ってすぐを右折し、県道351号に入ります。1.2km程北上して左折し、200m先の突き当りを左折、400m先を左折して、B&G海洋センターを過ぎ、更に1.2km程先の第一駐車場まで車で行くと城跡です。 |
竪堀
井戸
別名 | |||
所在地 | 岡山県赤磐市(吉井町)周匝 | ||
遺構等 | 模擬天守、曲輪、土塁、竪堀、井戸、説明板 | ||
現状 | 城山公園 | ||
築城年 | 天文初年(1532)頃 | ||
築城者 | 笹部勘二郎 | ||
歴代城主 | 笹部勘二郎 | ||
形式 | 山城(Pから比20m、比110m、標172m) | ||
訪城日 | 2010/5 | 感想 | ○ |
大仙山城とは尾根続きで南東約500mに位置します。城跡は公園整備され、本丸には模擬天守が建っています。この南には長い竪堀があり、北東には井戸もあります。東下方には太鼓の丸があるようですが、こちらは行きませんでした。 |
すさいちゃうすやまじょう |
築城時期の詳細は不明だが、天文初年(1532)頃、浦上宗景に属した笹部勘二郎が居城にしたと考えられる。宗景が天神山城を居城として戦国大名に成長すると、笹部氏は宗景の隷下に入り、吉野川中流に位置する天神山城の上流の要衝を押さえた。天正5年(1577)宇喜多直家により浦上氏が滅亡すると、備前国北東部から美作国南東部の宗景に従っていた国人や名主層は、美作国三星城の後藤勝元を盟主として宇喜多直家に反旗を翻し、笹部勘二郎もこれに与した。天正7年、美作国平定に乗り出した直家は、茶臼山城を攻略し、勘二郎と息子は討死にし、落城した。以後、廃城となった。 (『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照) |