城跡の地図
浜田城
別名 亀山城
所在地 浜田市殿町
遺構等 曲輪、石垣、門(津和野藩庁門)、
碑、説明板
現状 城山公園
築城年 元和6(1620)
築城者 古田重治
歴代城主 古田、松平、本多、松平
形式 平山城
訪城日 2005/11/24
【道案内】


【感想・メモ】
はまだじょう
【歴史】
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津和野藩庁門
縄張図(現地説明板より)
JR山陰本線「浜田駅」から西へ約1.3km。国道9号で南側に「浜田市役所」がある所から200m程西進し、「殿町」信号を右折して100m程北上した左手に「浜田護国神社」があります。ここから神社社殿へと上ると、社殿右手に登城口があります。この城山公園が城跡です。殿町信号から更に西へ約50m行った所を右前方の道路へ入り、すぐを右手の道へ進むと、上の社務所(二の丸)まで車で上がれ、参拝者用の無料駐車場があります。
この付近、道が狭くごちゃごちゃしていて、護国神社へ行くつもりが間違って東側の厳島神社に来てしまいました。でも、裏門石垣の碑と立派な石垣をを発見し、ラッキー!護国神社へ向かうと、民家の間に高い石垣があってナントも凄い!護国神社の社殿右手へ行くと、津和野藩庁門があります。門があると引き締まった感じがしていいです。ここからは石垣のオンパレード。本丸下の北側(松原湾側)まで立派な石垣が見られて素晴らしいです。本丸からの眺めも良く、かなり満足できます。
元和6年(1620)、伊勢松阪から前年に5万4百石を領してこの地に移った古田重治が築城した。慶安元年(1648)、2代重恒はお家騒動によって改易となり、播磨宍粟(山崎)から松平(松井)康映が5万石で入封した。松平氏は5代康福が下総古河へ移封し、替わって本多忠敝が入るも、明和6年(1769)本多忠粛が三河岡崎へ転封となり、再び松平康福が入城した。天保7年(1836)、密貿易が幕府に発覚した竹島事件によって松平康任は陸奥棚倉へ転封となり、上野館林から松平(越智)斉厚が入った。慶応2年(1866)、第二次長州征伐の際、大村益次郎指揮の長州軍の進攻を受け、城主・松平武聡は城と城下を焼き放って退き、浜田は美作鶴田藩の飛地となって明治を迎えた。