城跡の地図
上茜部城
別名
所在地 岐阜県岐阜市茜部本郷2丁目100
遺構等 碑、説明板
現状 宅地
築城年 戦国期
築城者 堀資重
歴代城主
形式 平城
訪城日 2006/12/30
【道案内】


【感想・メモ】
かみあかねべじょう
【歴史】
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「岐阜駅」から国道157号で約2km南下した所。国道21号と国道157号が交差する「茜部本郷」信号を北へと国道157号に入り、300m程北上した「上茜部」バス停のすぐ北側が城跡です。
「上茜部」バス停のすぐ北側(国道沿い西側)に城址碑と説明板があるのみです。
上茜部城は、戦国時代、堀秀政の先祖資重が本郷の地に築き、天正年代(1570)は秀政の居城であった。秀政は、天文22年(1553)、この城で堀秀重の嫡男として生まれ、幼名菊千代、長して久太郎と称し、13才で信長に仕え数多く武勲をたてた。天正9年(1581)には長浜城主に、翌10年本能寺の変後は秀吉の先鋒として光秀を山崎に討った。その智勇をめで秀吉から羽柴の称号を賜った。その後、賎ヶ岳合戦の戦功で佐和山城主となり、長久手合戦後には四国征伐の功により従四位で侍従左衛門督となった。天正13年、北ノ庄城主として18万8百石を拝領し、天正15年、秀吉に従い九州島津征伐に参戦し、天正18年、秀吉の小田原城攻めに参戦中、5月27日、陣中にて38歳で病没した。