城跡の地図
加納城
ここは、ナント言っても石垣がスゴイっす!石垣の周囲を、ぐりぐり見て回っちゃいました。そして、石垣だけでなく、土塁もイケテます。その上、桜の花も見られて、もうステキすぎます。また、北方の加納小学校にも石垣が少し残っています。
【感想・メモ】

別名
所在地 岐阜県岐阜市加納丸之内8−8
遺構等 石垣、堀、曲輪、土塁、説明板
現状 加納城址公園
築城年 慶長7(1602)
築城者 徳川家康
歴代城主 徳川、奥平、大久保、戸田、安藤、永井
形式 平城
訪城日 2003/4/12
【道案内】

かのうじょう
【歴史】
TOPページへ
名鉄名古屋本線「加納駅」または「茶所駅」から南西へ約800mの加納城址公園が城跡で、公園南側に駐車場があります。また、以前は野口館に移築城門がありました。
文安2年(1445)、守護代・斎藤利永が、守護土岐氏の館城であった革手城の北300mの地に築城した。革手城にあった守護代は1510年頃に福光城へ移転している事から、16世紀前半に中世の加納城は廃城となったと思われる。関ヶ原の戦いの後、徳川家康は岐阜城に替わる美濃国の中心として加納に新城を築く事にした。慶長6年(1601)、奥平信昌が城主として入ったが、奥平氏断絶の後、大久保氏、戸田氏、安藤氏、永井氏と続いて幕末を迎えた。