今石動城
城跡の地図
【道案内】
【歴史】

別名
所在地 小矢部市城山町
遺構等 曲輪、堀切、説明板
現状 公園、山林
築城年 天正13年(1585
築城者 前田利家
歴代城主 前田
形式 平山城(比150m)
訪城日 2008/4
いまいするぎじょう
TOPページへ
北陸本線「石動駅」から北北西へ約1.5km。石動中学校から150m程北上した突き当りを左折し、50m程西進した1本目の路地を右折します。100m程北上して左折し、左手に城山公園を見ながら200m程進んだ突き当りを右折、100m程東進して鋭角に左折(曲がりきれないため、直進した広場で車の向きを変えましょう)、更に400m程西進した右手の城山が城跡です。付近の道路余白に駐車可能です。
天正13年(1585)、前田利家が越中攻略の際の前線基地として築き、弟の秀継に守らせた。同年、秀継は木舟城に移り、秀継の子・利秀が守将となる。秀継死後、利秀は4万石を領する今石動城主となり、加賀・能登・越中の要衝の地である今石動を城下町として発展させた。文禄2年(1593)利秀死後、家老の篠島織部清了が城代となり、遺領地を治めた。元和元年(1615)一国一城令により、加賀藩は寛永15年(1638)に高岡魚津などの諸城と共に、今石動城も廃城となった。石動市街地の背後にある白鳥山に築かれた城で、主郭は東西約49m、南北約26mである。(現地説明板より)
説明板の背後が堀切で、その南東の郭には展望台があります。この東側へと登っていくと段郭になっているのですが、倒木や藪で山が荒れていたので、それ以上見て回りませんでした。
【感想・メモ】