【道案内】
天正6年(1578)、織田信長の命により細川藤孝と明智光秀は丹後に侵攻し、建部山城主・一色義通を滅ぼして丹後を平定した。その功により細川藤孝は丹後一国12万石を領し、天正8年、宮津城を築いて本城とし、加佐郡の押さえとして田辺城を築いた。天正10年、本能寺の変後、藤孝は隠居して田辺城に居城した。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の戦功により細川藤孝・忠興父子は豊前中津に移り、替わって京極高知が信州飯田から12万3千2百石で入封した。元和8年(1622)、高知死後、嫡男高広は宮津城に移り、次男高三が加佐郡3万5千石を分知され田辺城に居城した。寛文8年(1668)、京極高盛が但馬豊岡に移り、牧野親成が3万5千石で入封した。以後牧野氏が続き明治を迎えた。
田辺城
田辺城は隅櫓の中が資料館(無料)となっていて、なかなか楽しめます。カッコいい石垣や土塁も見られてとてもいいお城なんですが、あちこちにあまりにも看板がありすぎ!それが景観損ねてると感じました。「駐車禁止」「石垣に登って遊んじゃダメ」という内容のものが本当にあちこちに。あー、せっかくの石垣の前に、そんなに看板を置かないで〜
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【感想・メモ】

【歴史】
城跡の地図
別名 舞鶴城
所在地 京都府舞鶴市南田辺
遺構等 復興隅櫓、復興大手門、石垣、曲輪、土塁、碑、説明板
現状 舞鶴公園
築城年 天正8(1580)
築城者 細川藤孝
歴代城主 細川、京極、牧野
形式 平城
訪城日 2004/7/30 感想

たなべじょう
JR舞鶴線「西舞鶴駅」から北へ約450m。国道27号「新相生橋」で伊佐津川を西へ渡り、更に300m程西進した信号(国道27号が左折する「大手」信号の1つ手前の信号)を左折します。500m程南下すると、左手に隅櫓や大手門が見えてきます。この公園一帯が田辺城跡です。公園のすぐ横に、有料駐車場が完備されていました。