中津城
なかつじょう
【道案内】 城跡の地図
JR日豊本線「中津駅」から北西へ約900m。中津公園・中津神社が城で無料駐車場があります。
【感想・メモ】
すぐ後ろが中津川の河口となっており、流通の便が良かったのが分かります。模擬天守の中は、一瞬どうしてここに?と一瞬びっくりしました「長篠合戦図屏風」など、長篠合戦の資料が沢山展示してあります。川沿いに歩くと、鉄門跡があります。中津は福沢諭吉の出身地ということで、福沢通りと呼ばれる通りがあったり、旧宅や記念館もあって見所満載です。
【歴史】
天正15年(1587)豊臣秀吉の九州征伐の戦功により黒田官兵衛孝高(如水)が豊前16万石を領し、翌天正16年に中津城築城に着手した。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の戦功で黒田孝高・長政父子は筑前52万3千石を領し、中津には丹後田辺から細川忠興が豊前一国と豊後二郡32万石で入封した。細川忠興は中津城は領国支配に不便なため、慶長7年から小倉城を築城して移り、嫡男・忠利を中津城に置いたが、その後、忠興は隠居して三斉と号し、忠利に家督を継がせ、忠利と交代して自らは中津城を隠居城とした。寛永9年(1632)、熊本城主・加藤忠広(加藤清正の子)が改易となり、忠利が肥後熊本へ転封となったのに伴い、忠興も肥後八代城に移った。同年、細川氏に替わって播州龍野より小笠原長次が8万石で中津城主となるが、享保2年(1717)小笠原氏5代・長邑が9歳で没し断絶となった。その後、丹後宮津から奥平昌成が10万石で入封し、以後奥平氏が9代居城して明治を迎えた。
別名 扇城
所在地 大分県中津市二ノ丁
遺構等 模擬天守、曲輪、石垣、堀、碑、説明板
現状 中津公園、中津二ノ丸公園、神社他
築城年 天正16(1588)
築城者 黒田孝高
歴代城主 黒田、細川、小笠原、奥平
形式 水城
訪城日 2006/11/24