金山城
別名
所在地 兵庫県篠山市追入
遺構等 曲輪、石垣、土塁、馬場、虎口、説明板
現状 山林
築城年 天正6(1578)頃
築城者 明智光秀
歴代城主 明智光秀
形式 山城(比300m)
登城口から主郭まで約40分
訪城日 2011/5 感想
【歴史】
登城口にお城の説明板があり、城跡までの距離が書かれた案内表示が途中で何度もあり、勇気付けられます。登り始めてすぐに観音堂があり、そこから30分程で寺院跡に出ます。石垣がゴロゴロしており、背後に削平もあってこの付近から城域のような感じです。そこから2〜3分で虎口があり、その先が馬場跡です。この先、鬼の架け橋は左手になっていましたが、まずは城跡目指して真っ直ぐ登りました。馬場跡から5分程でようやく主郭に到着。主郭からの眺めは良く、黒井城、八木城が見える場所に表示もあり、西側が一段高くなっています。虎口付近をはじめ、主郭の周囲には石垣がありますが、特に南側の石垣が高くて見応えあります。主郭から西へ少し下ると鬼の架け橋も見られます。
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【感想・メモ】
国道176号「鐘ヶ坂トンネル」を南へ抜け、600m程南下した信号を右折すると「追入神社」があり、神社から50m程南下した右手の灯篭奥が登城口です。車は登城口横の空地に停めました。
城跡の地図
登城口の地図
【道案内】

織田信長の命を受け丹波制圧にのりだした明智光秀が天正6年(1578)9月より7年10月にかけて標高537mの頂上に築城した。天正6年2月、三木城主別所長治が織田信長に背き、篠山盆地一帯を支配していた戦国大名波多野秀治は、この謀反を支援して他の丹波国人衆とともに一斉蜂起した。信長は光秀に征討を命じ、同年3月に丹波へ侵攻した。秀治は居城八上城にて、氷上郡にある黒井城の赤井氏と連携し光秀に徹底抗戦を続けた。光秀は天正3年に黒井城を攻めた際、秀治に背後から襲撃され京へ命からがら逃げ帰った経験があり、両者の連携を最も恐れた。そこで、多紀郡(現篠山市)と氷上郡の郡境にあり、両郡を結ぶ交通の要衝であったこの地は両者の連携を遮断するに格好で、金山城を築いた。これが功を奏したのか、八上城は天正7年6月落城した。金山城は天正10年頃には役目を終え、廃城になったと思われる。
参考資料
『ひょうごの城紀行上』(朽木史郎・橘川真一編著)神戸新聞総合出版センター発行
現地説明板

主郭

馬場跡

寺院跡

登城口

鬼の架け橋

主郭南側の石垣

きんざんじょう