鷹留城
大手口跡の地図
城跡の地図
【感想・メモ】
登城口に「鷹留城大手口跡」と木に書かれており、この背後は主郭から2つ目の南にある郭から落ちている竪堀です。ここから左手へ進むと本丸とその南にある郭間の堀切があり、南郭の切岸がカッコいいです。本丸に城址碑と説明板があり、60mx40m程の広さがあります。本丸東の階段を下りて横堀を見ながら北へ進むと郭があり、小さな神社が祀ってあります。この北の堀切の先にも1つ郭があり、その郭の北側にある80m程の長い堀切と土橋がとても素晴らしく、見応えがあります。主郭の東下には3段程の段郭や竪堀があり、主郭の南にある郭は50x10m程と細長く、個人のお墓があります。その南にも立派な堀切があり、その先にも1つ郭があって南西側の竪堀を下りていくと、最初に見た大手口跡に出ます。所々にちょっとした石積みがあったので、このお城は石も使っていたのかもしれません。全体に堀切がとても見応えあるお城です。
「宮沢小学校」から県道154号で400m程西進して右折し、120m程西進して左折します。道なりに2.5km程西進した左手(南側)が城跡です。こちらからだと城跡の北側から入ることになりますが登城口は未確認。ただ、お城からこの道がすぐ傍に見えたので、ここからの方が道が良く、お城へ行きやすいと思います。私は城跡南東側から入りましたが、道がとても分かりにくく、狭い上に途中からダート道です。高崎市役所支所(旧榛名町役場)から県道29号で滑川を渡って100m程東進し左折します。左手に駐在所を過ぎて50m程北上した最初の路地を右折します。100m程北上すると民家に入って行きそうに道が折れ曲がり細くなりますが、そのまま進みます。600m程北上して右手へ進み、更に300m程東進すると登城口です。車は登城口の100m程手前付近に停めると良いでしょう。
【歴史】
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碑と説明板

大手口跡

明応年間(1500頃)、長野業尚が築城した。永禄9年(1566)、武田勢は高浜の砦を落とし、白岩に進出したため、箕輪城との間を分断された鷹留城を攻撃した。城将長野業通は弟業勝・業固と防戦したが、業勝は討死して落城し、業通らは吾妻へ逃げた。(日本城郭体系4参照)

北端の曲輪の土橋


本丸

【道案内】

南端の郭と本丸南の郭
との間の堀切

別名 亀城
所在地 榛名町下室田
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 明応年間(1492-1501)
築城者 長野業尚
歴代城主 長野
形式 山城(比80m)、登城口から主郭まで比40m
登城口から主郭まで約8分
訪城日 2008/3/30
たかとめじょう