城跡の地図
名張陣屋
別名 藤堂屋敷
所在地 名張市丸之内
遺構等 太鼓門、書院、御殿、説明板
現状
築城年 天正13(1585)
築城者 松倉重政
歴代城主 松倉、藤堂
形式 陣屋
訪城日 2004/10/16
【道案内】


【感想・メモ】
なばりじんや
【歴史】
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太鼓門
近鉄大阪線「名張駅」から西へ約350m。近鉄「名張駅」から県道57号で300m程北西へ進み、左角に「名張消防署」がある信号を左折し、100m程行くと右手に「藤堂家邸宅」があります。この付近一帯が陣屋跡で、邸宅は宝永7年(1710)に建てられたものの一部で貴重な現存建造物です。隣に無料駐車場が完備されています。
陣屋内に入ると、思ったより広くてびっくり。これでも当時の何分の1の広さとか。庭もステキでのんびりした気分を味わえます。邸宅のすぐ裏にある「寿栄神社」には、陣屋の移築門(太鼓門)があります。ここの太鼓門は大きくて立派な雰囲気です。
この地はもともと土豪の砦であったが、天正13年(1585)、筒井伊賀守定次が大和郡山から転封され、筒井順昭・順慶・定次の三代に仕えた家臣・松倉豊後守勝重に名張八千石を与えた。そこで勝重が築城し、嫡子・重政が継ぐも、島原城主となってこの地を離れたため、定次は、家臣・桃ヶ谷与次郎国仲に四千石を与え、名張城代とした。慶長13年(1608)、定次改易後、伊予今治から藤堂高虎が入り、元和3年(1617)、高虎の異母弟である上野城代・出雲高清が直接支配した。寛永13年、藤堂高吉が名張に入り、名張藤堂家初代として住んだ。以後、名張藤堂家が継いだ。