城跡の地図
岡豊城
別名
所在地 高知県南国市岡豊町八幡
遺構等 曲輪、土塁、井戸、堀切、竪堀、碑、説明板
現状 公園
築城年
築城者 長宗我部氏
歴代城主 長宗我部
形式 平山城
訪城日 2009/9
まずは二の段へ。ここから本丸(詰)への間に立派な堀切と井戸があり、本丸には城跡碑と礎石建物跡があります。本丸下にも礎石建物跡がありました。そこから三の段へと向かう土塁や横堀、虎口付近の石垣が素晴らしいです。その一段下には大きな城址碑があり、眺望が良いです。西北側の山林へ入ると二重の堀切(その先に鉄塔があるため道もあります)や竪堀もありかなり楽しめます。また西方の伝厩跡曲輪には展望台があり、途中に竪堀が見られます。全体に遺構が良く残っている上に、整備されていて見やすいのでオススメです。
【感想・メモ】
礎石と石垣

伝厩跡曲輪

【道案内】

西北の二重堀切

おこうじょう
TOPページへ
高知自動車道「南国インター」から1.6km程南下した信号を右折して県道256号に入り、100m程西進して白木谷川を「島橋」で渡りすぐの信号を左折して県道384号へ入ります。県道を1.2km程キープした2つ目の信号を左折すると「県立歴史民俗資料館」があり、ここが既に城跡で、資料館に無料駐車場が完備されています。駐車場に城跡の案内図があり、山へ入ると主要部です。
築城年は不明だが、長宗我部氏が代々本城とした。永正5年(1508)18代兼序の時、本山・吉良・大平・吉良連合軍に攻められ岡豊城は落城し、兼序も自刃した。その際、嫡子国親は幡多中村の一条房家を頼って落ち延びた。永正15年、一条房家の助力で本領を回復した長宗我部国親は勢力を拡大し、天文18年(1547)山田城主山田元義を、永禄3年(1560)朝倉城の本山茂辰も攻め滅ぼしたが、同年没した。国親を嗣いだ元親は、永禄12年には安芸城主安芸国虎を、天正2年(1574)中村城主一条兼定を滅ぼし土佐を制圧し、天正12年伊予河野氏を降して四国を平定した。天正13年、豊臣秀吉の四国征伐に敗れた元親は、土佐一国を安堵され、天正16年に大高坂城(現高知城)へ移ったが、治水に難があったため、天正19年に浦戸城を築いて居城とした。
【歴史】
縄張図(現地説明板より)