城跡の地図
亀居城
別名 小方城
所在地 大竹市小方2丁目
遺構等 曲輪、石垣、堀切、井戸、説明板
現状 亀居公園
築城年 慶長8(1603)
築城者 福島正則
歴代城主 福島
形式 平山城
訪城日 2005/11/25
【道案内】

【感想・メモ】
かめいじょう
【歴史】
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山陽自動車道「大竹インター」のすぐ南。国道2号「大竹インター入口」信号を西へ入り、道がすぐ左に折れ、100m程南下した十字路を右折します(この付近から道路に亀居公園の案内有)。JRを越え、更に80m程北上した交差点を左折します。インターのランプをくぐって500m程行き、山陽道をくぐる手前で左折します。そこから300m程南下して左手前方向に左折します。道なりに少し上がると駐車場があるので、ここから少し歩いて登ります。※この道は山頂から左に折れて、通り抜け出来るようになっているため、間違って行き過ぎないように注意してください。
駐車場にお城の説明板があり、そこから山頂へ上がっていく途中の左手が松の丸です。城跡は公園として整備してあるので見やすいです。山頂にもお城の説明板があり、ここから西が三の丸・二の丸・本丸となっています。このお城は石垣が良く残り、本丸は周囲が石垣で総石垣のお城だったと分かります。石垣には刻印が沢山あって楽しめます。本丸の南側に詰の丸があり、その途中の東側下と本丸の北西に井戸もあります。総石垣のお城なんだけど、面白さとしてはちょっとイマイチって感じがしちゃいました。あまりに整いすぎているせいかしら?
慶長5年(1600)関ヶ原合戦後、毛利輝元は防長の2国に減封され、長門・に移ったのに替わり、福島正則が安芸・備後2ヶ国49万8千石余の国主として輝元の本城だった安芸広島城へ入った。正則は、毛利領に隣接するため、領国に6支城(三原・三次・神辺・東城・亀居)を構えたが、毛利領東端を領有した吉川広家が周防岩国城の築城を開始したのに備えるため、領土西端のこの地に、慶長8年から5年の歳月を掛けて築城した。そして、甥の福島伯耆を城代とした。しかし、慶長16年、幕府の意向で破却となった。