岐阜県のお城 まつだいらただよし・いいなおまさじん
松平忠吉・井伊直政陣(東軍)
別名
所在地 岐阜県関ヶ原町関ヶ原909−18
遺構等 碑、説明板
現状 公園
築城年 慶長5(1600)
築城者 松平忠吉・井伊直政
歴代城主 松平忠吉・井伊直政
形式 陣所
登城時間
訪城日 2013/7/14 感想
【道案内】 城跡の地図
東首塚
JR関ヶ原駅の西約200m、JRを越える陸橋のすぐ西側(線路北側)の公園が陣跡で、公園西側道路の余白に駐車可。
【感想・メモ】
碑と説明板があり、同じ公園西方に東首塚(合戦で討ち取られた西軍将士の首が家康によって首実検され、その後、この地の領主竹中家が築いた首塚)や首洗いの井戸(首実検に先立ち首級の血や土などが洗い落とされたと伝えられている井戸)があります。
【歴史】
首洗いの古井戸
慶長5年(1600)9月15日、合戦にて中山道の敵を目標とする福島藤堂、京極隊、北国街道を黒田、竹中細川等の隊、その中央に当るこの地に家康の四男松平忠吉、後の彦根城主井伊直政が約6000の兵で陣を構えた。午前8時頃、軍艦本多忠勝より開戦を促され、直政・忠吉を擁して前進し宇喜多秀家の前面に出たが、先鋒は福島正則であると咎められ、方向を転じて島津義弘の隊に攻撃し開戦の火蓋が切られた。
参考資料
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