城跡の地図
有子山城
別名 高城
所在地 豊岡市出石町内町
遺構等 曲輪、石垣、堀切、土橋、竪堀、説明板
現状 山林
築城年 天正2(1574)
築城者 山名祐豊
歴代城主 山名
形式 山城(比310m)
訪城日 2004/7/29
【道案内】

【感想・メモ】
ありこやまじょう
【歴史】
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縄張図(現地説明板より)
県道706号「柳」信号から100m程南下した次の路地を左折して200m程行くと、旧出石町役場(市役所支所)手前に、観光者用駐車場があります。(有料だったと思う)ここから南へ100mも行けば出石城跡ですが、出石城の所に縄張図付きの説明板もあり、出石城の上に登山口の案内もあります。
登り始めて10分も経たない内にハッキリ分かる土橋があります。その後も竪堀を2本くらい見て、段郭に到着。縄張図を見ると、もう随分上まで来たみたい。ここから先へ行くと、石垣が沢山見えてきました。ここの石垣は草などが邪魔せずハッキリ見えて素晴らしい。次の曲輪も登るたびに石垣が見え、本丸の石垣もカッコいいです。本丸からの眺めも良いので、気分爽快に!本丸の後ろには大堀切があり、こちら側から本丸へ登る場合はロープをつたって行けるようになっています。また、反対側は千畳敷と呼ばれ、かなり広い曲輪が3段になっています。全てが見応えたっぷりで、大満足!下りは特に滑りやすいので足元要注意です。
有子山の北方約2kmにある山名氏本城「此隅城」が落城したため、天正2年(1574)、山名祐豊が新たに有子山城を築城した。その際、「此隅」の音が「子盗」に繋がることから「有子」と名づけた。しかし、天正5年(1577)と天正8年の織田信長による但馬征伐で、羽柴秀吉軍により落城し、山名氏政は因幡へ出奔した。その後、天正13年、前野将右衛門長康が但馬11万石を領して入城した。文禄4年(1595)、長康嫡子・景定が関白豊臣秀次の失脚に連座して切腹となり、長康は自刃した。替わって播磨龍野城から小出吉政が入った。慶長5年(1600)関ヶ原合戦で、小出氏は御家存続のため秀政・吉政父子は西軍、吉政の弟・秀家は東軍に分かれて戦い、秀家の軍功により出石の本領を安堵された。慶長9年(1604)吉政の嫡子・吉英は、山麓に新たに出石城を築城し、有子山城は廃城となった。